檀君朝鮮
2009.01.15.00:49
モンゴルの植民地になった劣等感で、高麗の僧が捏造した架空の国家の檀君朝鮮高麗史
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=106675
1231年から蒙古(後の元)の侵入が始まる。崔氏は国王を連れて1232年に都を開城から江華島に移して、3年間も徹底抗戦を試みたため、国土と国民はモンゴル人に蹂躙され、荒廃した。
1239年にモンゴルは高麗王に入朝を命じたが、蒙古を野蛮人と見ていた高麗側はこれに応じなかった。1247年に再び蒙古軍が侵入した。この年から蒙古は継続して侵攻し、高麗は徹底的に抗戦するものの、1258年に北部の和州以北を奪われて双城総管府が置かれた。
結局、翌1259年に崔氏政権は打倒され、高麗は蒙古に服属し、太子(王子)を人質として蒙古に差し出した。こうして高麗はモンゴルの一部となった。
この後、高麗王はモンゴル人との結婚が強制され、王族のDNAは完全にモンゴル人化しそれまで使っていた中国風の名のほかに、モンゴル風の名も使うようになり
あらゆる面でモンゴルの支配を受けるようになります。
そのことに劣等感を持った高麗の僧侶の一然が、1280年に三国遺事を書その中で檀君朝鮮という架空の国家を捏造した。
この檀君神話はモンゴルの植民地となりアイデンティティが崩壊しかけていた
高麗人に民族の意識を植え付け、モンゴル人との同化を防ぐのに役立ったと言われています。
言うまでも無く13世紀に一僧侶が作った神話であり史実性は0ですが
現在でも世界で韓国と北朝鮮でのみ、まるで実在した国家であるかのように教育をしており
朝鮮電波愛好家から物笑いの対象となっている。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=106675
1231年から蒙古(後の元)の侵入が始まる。崔氏は国王を連れて1232年に都を開城から江華島に移して、3年間も徹底抗戦を試みたため、国土と国民はモンゴル人に蹂躙され、荒廃した。
1239年にモンゴルは高麗王に入朝を命じたが、蒙古を野蛮人と見ていた高麗側はこれに応じなかった。1247年に再び蒙古軍が侵入した。この年から蒙古は継続して侵攻し、高麗は徹底的に抗戦するものの、1258年に北部の和州以北を奪われて双城総管府が置かれた。
結局、翌1259年に崔氏政権は打倒され、高麗は蒙古に服属し、太子(王子)を人質として蒙古に差し出した。こうして高麗はモンゴルの一部となった。
この後、高麗王はモンゴル人との結婚が強制され、王族のDNAは完全にモンゴル人化しそれまで使っていた中国風の名のほかに、モンゴル風の名も使うようになり
あらゆる面でモンゴルの支配を受けるようになります。
そのことに劣等感を持った高麗の僧侶の一然が、1280年に三国遺事を書その中で檀君朝鮮という架空の国家を捏造した。
この檀君神話はモンゴルの植民地となりアイデンティティが崩壊しかけていた
高麗人に民族の意識を植え付け、モンゴル人との同化を防ぐのに役立ったと言われています。
言うまでも無く13世紀に一僧侶が作った神話であり史実性は0ですが
現在でも世界で韓国と北朝鮮でのみ、まるで実在した国家であるかのように教育をしており
朝鮮電波愛好家から物笑いの対象となっている。



